映画「石巻市立港小学校避難所」

先ほど石巻市立湊小学校避難所という映画を見てきました。
主上映で、50人くらいの方がいました。
監督や避難所にいたかた
のお話しなどがありましたが、
とてもリアルな避難所生活を捉えた
映画でした。
湊小学校は3月17日横浜から物資を入れた小学校で
すが、
その後何十という避難所を見ることになりますが、もっとも
劣悪な環境に
ある避難所でした。20日は体育館と一階廊下の泥だ
しを一日中やりました。
その後も何度か行きましたが避難所は注目
される場所になり、
いろいろなボランティアが入るようになります

そうしたボランティアに対する避難所にいた方の言葉がとても胸に
突き刺さるものがありました。
心にとめてこれからの支援活動に当
たらねばと思います。

at 18:53, kurachannet, 防災

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東日本大震災22

 もう何回目になるのか、おそらく今年最後の
被災地での活動に向かった。週末で、しかも
東北地方の高速無料化にも関わらず道はすいていて
思いのほか早くいつものPAに着いたことに驚いた。 


今回はクリスマスリース教室。
一日目いつもの林業センターにて開催。
15組程度の親子がリース作りに挑戦。
いつも子供が楽しんだりはしゃいだりしているが
今回はお母さんたちも真剣にリース作りに
挑戦したが、見慣れたお母さんたちの違った表情が
微笑ましかった。




二日目は、鹿妻地区のおちゃっこというサロンで
開催。少ない人数ながらも、大きな被害を受けた
地域にぽつぽつと残された住宅からサロンに向かって
くる人を見てなんだかホッとした。それくらい人が
住んでいると思えないような場所である。
「こんなに集中して楽しんだの久しぶり」って
誰かが言ってました。

サンタが被災地の子供たちにも公平に訪れる
ことを切に願います。
いや、今年は不公平にどこよりもたくさんの
プレゼントを抱えて被災地に訪れることを
切に願います。

at 17:12, kurachannet, 防災

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東日本大震災21

10月18日 火曜日朝3時出発し、石巻の相川保育所へ。
今年最後のパティシェチームの遠征です。
10時から始まる相川保育所での「親子で作ろう石巻ロール」に向けて、三陸道から河北インターで降り、北上川沿いの土手を走って相川へ。大川小につながる橋も復旧していたようでした。

相川保育所は旧相川中に敷地でできた都会では考えられないくらい立派な保育園でした。到着したら1時間前だというのに園児はすでにエプロン姿(かわいい)。

講師役のパティシェがすでにお店で焼いてきた生地を使って、現場で作ったクリーム(普段機械でやってるシェフ達はかなりここで大騒ぎしてました)と、フルーツいを入れるという内容です。
生地に園児達がクリームを塗る姿はなかなかのものです。
ロールケーキは30分くらいでしたが、園児達にはちょうどいい内容で、一緒に来ていた保護者のみなさんも楽しんでくれたようです。もちろん味も最高だったと思います。





午後からいつも行っている大指林業センターで、小学生向け(振替でお休みだった)にお菓子教室をしました。クレープを作ったり、トリュフ、チーズケーキなどを作りました。まあちょっと子供には多すぎるスイーツだったかもしれませんが、普段身近に食べれるものではないのでたまにはいいかな。

夕方からは、シュタットシンケンのソーセージと鳥つくねでバーベキューとすっかり定番になってしまったチュロス、クレープをしました。前回ソーセージが大変好評だったようで、また食べたいという声も届いていました。おばあちゃんたちも喜んでくれたようです。



全部終わってから、近くのお好み焼き屋さん(これも定番になりつつある)に行きました。いつも現地の窓口になっていろいろ調整してくれているEさんも来てくれて、震災当時の話をいろいろしてくれました。お好み焼き屋のおばちゃんもご家族が亡くなり大変だったことを話してくれました。道が分断され完全に孤立していた1週間のこと。亡くなった数多くの遺体を道端で目にしながら40劼發△詁擦覆道を安否確認のため歩いたこと。いまだに行方がわからない家族のこと。がれきだらけの海底のため復旧する見込みのない漁業。

最近めっきり減った被災地のニュースですが、被災者から直接聞く話はいつ聞いてもつらいです。そして問題は形を変えて常に被災者にふりかかっているということを私たちは忘れてはいけないと思います。

at 02:12, kurachannet, 防災

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東日本大震災20

金曜日の夜仙台で一泊し、翌朝電車と代行バスを乗り継ぎ 福島県のS市に入った。
初めてのS市、小さな城下町と言えばいいのか、途中 車窓からは刈り取りを待つ稲が金色に輝き、台風の影響か 少し倒れているところもあるが、ちょっと遅い収穫なのか と思いながら・・・。

今回はS市で高齢者の孤立予防・認知症予防対策事業を 始める準備のため、現地の市民グループとのお話しなどを 行った。

訪れた図書館では幼児や小学生が親子で訪れて いたが、子ども達の首には線量計がぶらさがっていた。 4歳くらいの女の子の首には床を引きずりそうなくらいの 線量計。その首掛けのヒモには「がんばろう日本」の文字が。 こんな小さな女の子がしょっているあまりにも重すぎる 言葉に大人としての不甲斐なさを感じた。

現地で震災後から被災者の心のケアにあたっている 研究所から出向している保健士に事業を始める場所や、 被害の大きかった沿岸部、仮設住宅を案内してもらった。 既にさんざん津波の被害を見て来ていたが、あまり報道 されない福島でも被害は同じくらい甚大で、がれきの 撤去などはいろいろな問題もあるのか宮城に比べて少し 遅れている感じだった。朝見た稲は出荷しても売れないことが 見込まれ収穫せず補償を受けるのだと聞いた。 これからゆっくりと確実に被災高齢者の孤立予防に 取り組んでいこうと思う。

at 00:05, kurachannet, 防災

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東日本大震災19

翌日曜日5時半に起床、6時に出発するからねと前夜伝えて
ました。ほぼその予定とおり南三陸町に向けて出発。
車で30分もかからない場所で、私も久しぶりの南三陸でした。

南三陸町の有名な防災庁舎により手を合わせて、南三陸町の
ボランティアセンターに行きました。


私は震災後一度もいわゆるボランティアセンターというものを経由
したボランティアをしたことがありませんでした。ただ初めての場合
などはボランティアセンターに行くのが一番確実ですし、今回学生も
いたこともあり、今後災害時の参考にもなるということでボランティア
センターで一般人として列にならび当日ある作業に振り分けられました。


がれきの撤去作業ということで私たちは近くの道路沿いにある家や田んぼ
があった場所のがれきを撤去します。その人数は50人くらいで、ちょっと
作業的には多いなーと感じましたが、きっと他に作業があまりなく
ただボランティアはそれなりに来ているということからそうなってるの
だと思います。最初の頃の本当にたくさんのがれきを片付けるというよりは
小さい誰でも拾える持てるものを片付けるという感じの内容でした。
ただ、すごい天気がよく暑かったので体調をくずす人も出て、私も久しぶりの
ガテン系作業にヘトヘトでした。
もうこういう作業は若い人にまかせよう。

夜は牡鹿半島の民宿めぐろに泊まる予定だったのですが、しばらく行ってない歌津のあるお宅に崎陽軒のシュウマイをお土産によりました。残念ながら奥様だけでしたが、おうちの一階も修復されすっかり見違えるようになってました。

牡鹿半島まで2時間くらいの距離なのですが、今回ずっと一人で運転で、気づいたらみんな寝てるし!まあ緊張感があるので眠くなることはないのですが・・。

夜は久しぶりに民宿のおじさんとの再会で、現況などいろいろお話を聞きました。他にも18名と8人くらいのグループが宿泊しており結構にぎやかでしたね。でもみんな震災がらみで、もうすぐしたらお客もいなくなるかも。釣り客も来ない状況でどうやって経営していくのか、とっても大変な将来がまっていそうです。もう問題は生活再建・維持なんです。会う人みなさん仕事の事を口にします。誰も元通りの生活になってないんです。

at 23:51, kurachannet, 防災

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東日本大震災18

9月17日 久しぶりに行ってきました。
今回は大学生5人を連れての旅です。授業の一環ということでこっちも
少し緊張。

朝6時30分に青葉台を出発も渋滞ー。やっぱ、夜出発じゃないとダメね。7時30分に西池袋で一人をひろい一路宮城へ。

初日は、何度か行ったことがある石巻の大指で子供向けの教室を開催しました。すでに数日前に現地で活動したパティシェチームにチラシを配って頂いていたので開催は周知されてましたが、いったい何人来るのやら。けど東北道は断続的に渋滞で、3時スタートの30分前になんとか到着しました。

下敷きづくり、プラ板、駄菓子つかみ、万華鏡づくりなどコーナーで大学生達が子供たちに教えたり交流したり。下敷きづくりは2週間前に学校で練習もしたのでばっちりでした。

子供たちが飽きたら外でボール遊びしたりして、やっぱ年が近いと子どもも自然になつくよな〜。うらやましい。

私は現地で受け入れを調整してくれた方といろいろお話しながら、今はこういう支援がほしいんですという言葉がありがたかったです。
自分達の学校がなくなってしまい、バスで毎日学校に通ってる子供たち。いろいろつらい事を心にしまっているところが垣間見えるのがちょっと辛かったす。

夜は工作をやった施設で泊まらせていただきましたが、夜にまた子供たちがやってきて(近くの仮設から)、夜おそくまでドタバタ大騒ぎ。いつもならウルセーと言って帰してしまうところだけど、きっとこんなひと時も必要なんだろうと、疲れて横になりながらじっとしてました。

そういえばパティシェチームに紹介してもらった地元のお好み焼きのおばさん味があってよかったなー。事前に手間のかかる広島焼きは頼まない方がいいという情報があったので、迷わずみんな関西焼きでお願いします。けど、最後に頼んだかき氷は、私イチゴミルク、俺メロンミルクなどとばらばらな注文する私たちに、全員同じ味にしないの?と3回ほどぼそぼそとつぶやいていました(笑)。

また行くからね!

at 21:55, kurachannet, 防災

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東日本大震災17

翌朝30日。松島の宿を出て、朝調整した牡鹿半島の小渕浜へ向かい
ました。小渕浜は以前お花作戦の時に行った場所でしたが、
パティシェ達には初めての場所でした。

小渕浜の漁協の一階部分で、たこ焼きもあるということで
たこ焼きをやる滋賀県から来ている「びわ」さんと小渕浜の
コンビニで待ち合わせ。本当のたこ焼き屋さんでした。

合流してから一緒に近くの漁協の建物のある港へ。途中
以前行った民宿めぐろや後山荘を見ながら港に到着。
発電機を持ってきてなかったので話をつけていた四万十塾の
けんさんと港で会い発電機を借りました。

一階部分が完全に壊れた漁協の建物で早速じゅんび。
私は以前お花の先生と来た時に寄っためぐろさんに、その時
みんなでとった写真を届けに行きました。ちょうどめぐろ
さんがいて、上がって一服でもということでアイスコーヒーを
ごちそうになりながら、写真を渡していろいろなお話を聞きました。
とにかく支援金が入らないこと、震災後住民の避難所として
お世話していたが、こうした避難所に払われるお金も申請
した日(5月の初めに石巻の役所までいったらしい)からしか
支給されず、3月11日からそれまでずっとかかったお金に
関しては何もでないこと。かたむいた民宿を治すのに500万
くらいかかるが、全く資金の目途がないことなど、その時その時に
苦労や大変さはあるんでしょうけど、だんだん現実的な生活の
ことに直面する場面で、それまでとは違ったいろいろな障害
が見えたり、先行きが全く見えなかったり、気持ち的にも
とても苦労されている様子がうかがわれて心配になりました。

それからお昼近くになって海で作業していた漁師さんや近隣の住民の
方、ボランティアの方々が続々とやってきました。
この日は特に暑くて、作業をやっていた方たちにはとても
喜ばれたと思います。
「いちごミクルください」
「レモンください」
「あずきください」
「メロンください」「メロンミルクください」
「メロンミルクあずきください」「え・・・?」みたいなやりとり。







2時くらいには港の海水が漁協前の道路まで迫ってきていて、
さっきまで船がついていた岸壁は完全に水没していました。いつ漁師
のみなさんが以前のように漁に出られる日がくるのか・・・。

すべての作業が終わって(借りた発電機をおかしくしてしまって修理に長い時間がかかるというアクシデントがありながらも)、これからますますかき氷の季節、再びこの地でかき氷をやるのもそう遠くないかもと思いながら、帰路につきました。


今回のメンバーは
青葉区のPuissance
青葉区のアン・プチ・パケ
大田区のメゾン・ド・プティ・フール
大田区のル・ガリュウM


at 10:44, kurachannet, 防災

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東日本大震災16

水曜日スイーツ大作戦Part3ということで、朝
4時に起きて(ちゃんと寝れなかったけど)、4時半に
Puissanceへ。その後アン・プチ・パケに向かい、シェフと
かき氷機材を積んで宮城へ。

今回は朝出発ということで、なんだかいつもより
疲れてなくて楽に運転できました。

現地はいつものように四万十塾のとーるさんとの調整で、
まずは湊中に入りました。匂いは相変わらずだけど、
いつもの食堂にはいった瞬間、うわっハエ多い。
テーブルのあちこにハエだらけ、ニュースでは見ていたけど
すごいです。

食堂のはしで早速かき氷をセットし、お昼を食べに来た方々に
かき氷を提供しました。かき氷はアン・プチ・パケのシェフ
(初参戦)が機材から材料まで用意したものでしたが、シェフは
パティシェの氷細工の世界チャンピョンにもなったことがあるという
方です。

天気は前日まで雨がふるんじゃないかと心配してましたが、
晴れて関東と同じくらいの暑さで、かき氷も好評でした。



一発目のかき氷を終了後2チームに分かれて、1チームは
石巻と南三陸の境近くにある大指という場所にチュロスと
アイスココアをしに行きました。もう一つのチームは別の
小学校でかき氷をやりに出発。あと持ってきたジェリーと
プリンはボランティアに託して2箇所で夕方のお弁当と一緒に
渡していただくことになりました。

チュロスは前回ドーナツをやった場所ですが、いろいろとうまくいかなかったこともあり、再挑戦ということで、三陸道から北上し海岸線を
南下しました。途中南三陸を通過しましたが、がれきの撤去は
だいぶ進んでいました。大きなパイプ(水道かな)がむき出しで
町を横断していたのが印象的でした。

大指の林業センターについたら外にある今はもう使われていない
テントの中でじゅんびを始めました。明日からその施設にいる
人たちも仮設に全員移るということで、敷地内に既に仮設も
できていて住んでいる人もいたので、1か月の変化を感じました。
数人の子供や地元の方とお話しをしながら、作業から帰ってきた
人たちなどにまずはアイスココアから差し上げていきました。

けれど、ここどもハエの問題は深刻で、100匹くらいがテントに
やってきていたと思います。地元の方は体の大きさも大きいし、
テレビでやっていた方法をやっても捕まらないという話もあり
ました。衛生面でもちょっと心配な環境です。

4時ころから子供たちがどんどん増えてきました。みんな近くに
あった相川小学校の子供たちでしたが、小学校は津波で使えない
状態になってしまい、バスで40分近くかけて小学校に通っている
とのこと、今も決して安全とは言えない海岸線のでこぼこ道を
毎日バスに揺られて通っていると思うとほんとに子供たちは
大変な毎日を過ごしているなと思いました。私の子供の学校で
寄付として集められた文房具を持ってきていたのでその子供たちに
好きなのとっていーよというと、大騒ぎしながら自分の好きな
物を持って行ってくれました。小学校には十分文房具が届いて
いるという話を聞いてはいますが、ほんとかな、それは学校が
思う十分じゃないのかな?子供たちは自分達で選べるほどの種類が
揃っているのかな?嵐の下敷きをしっかりと抱えている
女の子がとても印象的でした。

チュロスもみなさんに喜んで頂き、待っていただいている間も
会話ができるこの場所は来てとてもやりがいが出る場所です。

前回お昼をごちそうになりましたが、今回も夕ご飯を食べて
行ってくださいと誘われました。本当にうれしい一言でした。
けど宿に戻る必要もあったので丁寧にお断りして、次回来た
時にはここで泊めて頂くということで、名残り惜しかったですけど
松島に向かいました。

車に乗ったらハエが30匹くらい(笑)入っていて、まど全開で
ハエを追い出しても追い出してもしばあくハエがどこからともなく飛んで
きては、おじさん3人がキャーキャーいう状態でした。

松島では前回もお世話になった新富亭に泊まりましたが、
宿泊している人が少なくてびっくりしました。ボランティアも
減って復旧の業者もかなり減っているんだろうなというのが
うかがわれましたが、現地を見るとまだまだの状況。なんとなく
みんなの記憶や支援が薄らいでいってるのを感じます。

ほんとに、まだまだなんです。

at 10:03, kurachannet, 防災

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東日本大震災15

朝松島のホテルを出発し、石巻に向かう、三陸道への道が渋滞していたので、急きょ奥松島からのルートを使って石巻へ。海岸線のそばのルートはことごとく壊滅的な被害を受けていた。

ドーナツとプリンの提供予定場所として、一つは石巻市内蛇田中、一つは南三陸町の南側にある半島の大指という地域の避難所へ二手に分かれていくことに。そんなに大勢いらないので、若手の4人に片付け作業をしてもらおうと、湊小に連れていった。そこで急きょ牡鹿半島の小渕浜地区にある旅館の片付けに行って欲しいということに。食材を積んだ私の車でいくとドーナツの炊き出しに間に合わなくなるので、そこにいたコーゼンさんが連れていってくれることになりました。コーゼンさんとは初回来たとき以来の再会です。

蛇田中のプリンチームと分かれて、ドーナツチームを一路大指へ。途中海岸線のでこぼこ道やじゃり道を2時間近くかけて走りました。
ちょっと早すぎたので、しばしゆっくりと準備しているとお昼に避難所の方が牛丼とパスタサラダを出してくれて、すごくおいしくて感動しました。1 時ころそろそろあげようという時間になって、私は朝牡鹿半島に行った若手4人を迎えに行かなければならず、残念ながらドーナツの様子は見ることができませんでした。(その後聞いた話だとかなり思うようにいかなかったとか。まあそういうこともありますね。)

石巻市街を抜け牡鹿半島の南の小渕浜へ約2時間。旅館「後山荘」に3時15分ころ到着。一生懸命建物の外で洗い物や片付けをしていました。前回お花を生けた旅館のすぐ斜め前にある旅館ですが、こちらは被害も大きく、なかなか手が付けられなかった片付けができてとても助かったようでした。


そこから一路横浜へ途中国見サービスエリアで他のメンバーと合流し、11時30分ころ自宅に到着しました。この日総運転時間は12時間。疲れましたー。

at 07:51, kurachannet, 防災

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東日本大震災14

5月17日仕事が終わって家についたのは9時近く、とりあえずご飯を食べて出発の準備して、みたけ台のPuissanceへ。

今回はパティシェ9人を連れての現地入り。車3台に分かれて東京から出発した2台に、東北道菅生PAで待ち合わせしました。少し仮眠して、石巻の拠点に6時ころ到着。
7時にミーティングに全員で出席。それぞれのチームの当日の活動内容や場所、注意事項などを聞く。
満潮は5時頃、冠水しているエリアは注意。
ボランティアが前日キリで現地の人に刺されたという報告などもあり。

私たちは、ビッグバンという河北町にある施設に行ってカスレ(豆と肉の煮込み)300食を昼の炊き出しで行い、別チームは港中で、お昼の炊き出しに合わせてシュークリーム300食を出し、夕方石巻中央公民館で100食のアイスクリームを出し、残りの200のアイスをどこか別の場所で出すという予定が決まる。

8時30分ころビッグバン到着。かなり大きな避難所で、りっぱな施設。現地の担当者に会うと、そんな話聞いてない。月曜からお昼も配給されていて必要ない。言った人に電話しろと伝えてくれとかなり不機嫌な感じ。
ということで、すぐに拠点に戻って、急きょ石巻市内の大街道小学校の炊き出しにプラスのメニューとしてカスレを出すことに決まる。大街道小の炊き出しは内容が変わらないように炒め物に変更してもらった。
こういうことは珍しことではないので、その場その場で冷静に対応するのが大事です。

カスレはトマトベースにスープに白豆と肉の入ったフランス料理です。高井戸のノリエットさんが仕込みをしてくれました。今回もシュタットシンケンさんのソーセージが入りました。

カスレチームと材料を残し、私は大街道小から港中の炊き出し現場へ、シュークリームチームと出発。すでに昼の炊き出しチームが調理を始めており、こちらもシュークリームの準備を始める。
シュークリームは、大田区のメゾン・ド・プティ・フールさんと、ル・ガリュウMさんチームです。カスタード(かなりおいしい)をその場でシューに注入。

現地炊き出しの責任者で四万十塾の木村とーるさんも到着し、いろいろ雑談と夕方の残りのアイスの場所をどこにするか探してもらう。

夕方アイスクリームの前に少し時間があったので、石巻港を見渡せる日和山公園に行きました。きっと震災前はその場所からの景色はきれいだったろうという場所も、今は津波の悲惨さを一望できる場所となっていました。まじかに見るのとは違った、カメラに収まりきらない被害の広さに、改めて先の長い復興になることを感じました。

夕方、中央公民館と、北上中の二手に分かれてアイスクリームをしました。私は北上中のチームを先導します。途中川向には多くの子供の犠牲者が出た大川小学校があります。北上川の河口口の田園風景は殺伐とした風景になっていました。北上中の避難所はテント暮らしで、夕食に出されるお弁当の支給と炊き出しの味噌汁の準備がちょうど行われていました。

アイスクリームは、カップに入れられソースもかけられました。この日はとても暖かくみなさんに喜んでいただけたと思います。子供たちから小学生まで、みんなおいしそうに食べていました。

6時30分ころ作業を終え、宿泊地の松島に向かいました。松島では新富亭に滞在し、ゆっくりとお風呂と食事を堪能しました。いやー被災地でこんな夜は初めてで、布団の中でぐっすり寝ましたね。

at 07:10, kurachannet, 防災

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