東日本大震災19

翌日曜日5時半に起床、6時に出発するからねと前夜伝えて
ました。ほぼその予定とおり南三陸町に向けて出発。
車で30分もかからない場所で、私も久しぶりの南三陸でした。

南三陸町の有名な防災庁舎により手を合わせて、南三陸町の
ボランティアセンターに行きました。


私は震災後一度もいわゆるボランティアセンターというものを経由
したボランティアをしたことがありませんでした。ただ初めての場合
などはボランティアセンターに行くのが一番確実ですし、今回学生も
いたこともあり、今後災害時の参考にもなるということでボランティア
センターで一般人として列にならび当日ある作業に振り分けられました。


がれきの撤去作業ということで私たちは近くの道路沿いにある家や田んぼ
があった場所のがれきを撤去します。その人数は50人くらいで、ちょっと
作業的には多いなーと感じましたが、きっと他に作業があまりなく
ただボランティアはそれなりに来ているということからそうなってるの
だと思います。最初の頃の本当にたくさんのがれきを片付けるというよりは
小さい誰でも拾える持てるものを片付けるという感じの内容でした。
ただ、すごい天気がよく暑かったので体調をくずす人も出て、私も久しぶりの
ガテン系作業にヘトヘトでした。
もうこういう作業は若い人にまかせよう。

夜は牡鹿半島の民宿めぐろに泊まる予定だったのですが、しばらく行ってない歌津のあるお宅に崎陽軒のシュウマイをお土産によりました。残念ながら奥様だけでしたが、おうちの一階も修復されすっかり見違えるようになってました。

牡鹿半島まで2時間くらいの距離なのですが、今回ずっと一人で運転で、気づいたらみんな寝てるし!まあ緊張感があるので眠くなることはないのですが・・。

夜は久しぶりに民宿のおじさんとの再会で、現況などいろいろお話を聞きました。他にも18名と8人くらいのグループが宿泊しており結構にぎやかでしたね。でもみんな震災がらみで、もうすぐしたらお客もいなくなるかも。釣り客も来ない状況でどうやって経営していくのか、とっても大変な将来がまっていそうです。もう問題は生活再建・維持なんです。会う人みなさん仕事の事を口にします。誰も元通りの生活になってないんです。

at 23:51, kurachannet, 防災

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東日本大震災18

9月17日 久しぶりに行ってきました。
今回は大学生5人を連れての旅です。授業の一環ということでこっちも
少し緊張。

朝6時30分に青葉台を出発も渋滞ー。やっぱ、夜出発じゃないとダメね。7時30分に西池袋で一人をひろい一路宮城へ。

初日は、何度か行ったことがある石巻の大指で子供向けの教室を開催しました。すでに数日前に現地で活動したパティシェチームにチラシを配って頂いていたので開催は周知されてましたが、いったい何人来るのやら。けど東北道は断続的に渋滞で、3時スタートの30分前になんとか到着しました。

下敷きづくり、プラ板、駄菓子つかみ、万華鏡づくりなどコーナーで大学生達が子供たちに教えたり交流したり。下敷きづくりは2週間前に学校で練習もしたのでばっちりでした。

子供たちが飽きたら外でボール遊びしたりして、やっぱ年が近いと子どもも自然になつくよな〜。うらやましい。

私は現地で受け入れを調整してくれた方といろいろお話しながら、今はこういう支援がほしいんですという言葉がありがたかったです。
自分達の学校がなくなってしまい、バスで毎日学校に通ってる子供たち。いろいろつらい事を心にしまっているところが垣間見えるのがちょっと辛かったす。

夜は工作をやった施設で泊まらせていただきましたが、夜にまた子供たちがやってきて(近くの仮設から)、夜おそくまでドタバタ大騒ぎ。いつもならウルセーと言って帰してしまうところだけど、きっとこんなひと時も必要なんだろうと、疲れて横になりながらじっとしてました。

そういえばパティシェチームに紹介してもらった地元のお好み焼きのおばさん味があってよかったなー。事前に手間のかかる広島焼きは頼まない方がいいという情報があったので、迷わずみんな関西焼きでお願いします。けど、最後に頼んだかき氷は、私イチゴミルク、俺メロンミルクなどとばらばらな注文する私たちに、全員同じ味にしないの?と3回ほどぼそぼそとつぶやいていました(笑)。

また行くからね!

at 21:55, kurachannet, 防災

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東日本大震災17

翌朝30日。松島の宿を出て、朝調整した牡鹿半島の小渕浜へ向かい
ました。小渕浜は以前お花作戦の時に行った場所でしたが、
パティシェ達には初めての場所でした。

小渕浜の漁協の一階部分で、たこ焼きもあるということで
たこ焼きをやる滋賀県から来ている「びわ」さんと小渕浜の
コンビニで待ち合わせ。本当のたこ焼き屋さんでした。

合流してから一緒に近くの漁協の建物のある港へ。途中
以前行った民宿めぐろや後山荘を見ながら港に到着。
発電機を持ってきてなかったので話をつけていた四万十塾の
けんさんと港で会い発電機を借りました。

一階部分が完全に壊れた漁協の建物で早速じゅんび。
私は以前お花の先生と来た時に寄っためぐろさんに、その時
みんなでとった写真を届けに行きました。ちょうどめぐろ
さんがいて、上がって一服でもということでアイスコーヒーを
ごちそうになりながら、写真を渡していろいろなお話を聞きました。
とにかく支援金が入らないこと、震災後住民の避難所として
お世話していたが、こうした避難所に払われるお金も申請
した日(5月の初めに石巻の役所までいったらしい)からしか
支給されず、3月11日からそれまでずっとかかったお金に
関しては何もでないこと。かたむいた民宿を治すのに500万
くらいかかるが、全く資金の目途がないことなど、その時その時に
苦労や大変さはあるんでしょうけど、だんだん現実的な生活の
ことに直面する場面で、それまでとは違ったいろいろな障害
が見えたり、先行きが全く見えなかったり、気持ち的にも
とても苦労されている様子がうかがわれて心配になりました。

それからお昼近くになって海で作業していた漁師さんや近隣の住民の
方、ボランティアの方々が続々とやってきました。
この日は特に暑くて、作業をやっていた方たちにはとても
喜ばれたと思います。
「いちごミクルください」
「レモンください」
「あずきください」
「メロンください」「メロンミルクください」
「メロンミルクあずきください」「え・・・?」みたいなやりとり。







2時くらいには港の海水が漁協前の道路まで迫ってきていて、
さっきまで船がついていた岸壁は完全に水没していました。いつ漁師
のみなさんが以前のように漁に出られる日がくるのか・・・。

すべての作業が終わって(借りた発電機をおかしくしてしまって修理に長い時間がかかるというアクシデントがありながらも)、これからますますかき氷の季節、再びこの地でかき氷をやるのもそう遠くないかもと思いながら、帰路につきました。


今回のメンバーは
青葉区のPuissance
青葉区のアン・プチ・パケ
大田区のメゾン・ド・プティ・フール
大田区のル・ガリュウM


at 10:44, kurachannet, 防災

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東日本大震災16

水曜日スイーツ大作戦Part3ということで、朝
4時に起きて(ちゃんと寝れなかったけど)、4時半に
Puissanceへ。その後アン・プチ・パケに向かい、シェフと
かき氷機材を積んで宮城へ。

今回は朝出発ということで、なんだかいつもより
疲れてなくて楽に運転できました。

現地はいつものように四万十塾のとーるさんとの調整で、
まずは湊中に入りました。匂いは相変わらずだけど、
いつもの食堂にはいった瞬間、うわっハエ多い。
テーブルのあちこにハエだらけ、ニュースでは見ていたけど
すごいです。

食堂のはしで早速かき氷をセットし、お昼を食べに来た方々に
かき氷を提供しました。かき氷はアン・プチ・パケのシェフ
(初参戦)が機材から材料まで用意したものでしたが、シェフは
パティシェの氷細工の世界チャンピョンにもなったことがあるという
方です。

天気は前日まで雨がふるんじゃないかと心配してましたが、
晴れて関東と同じくらいの暑さで、かき氷も好評でした。



一発目のかき氷を終了後2チームに分かれて、1チームは
石巻と南三陸の境近くにある大指という場所にチュロスと
アイスココアをしに行きました。もう一つのチームは別の
小学校でかき氷をやりに出発。あと持ってきたジェリーと
プリンはボランティアに託して2箇所で夕方のお弁当と一緒に
渡していただくことになりました。

チュロスは前回ドーナツをやった場所ですが、いろいろとうまくいかなかったこともあり、再挑戦ということで、三陸道から北上し海岸線を
南下しました。途中南三陸を通過しましたが、がれきの撤去は
だいぶ進んでいました。大きなパイプ(水道かな)がむき出しで
町を横断していたのが印象的でした。

大指の林業センターについたら外にある今はもう使われていない
テントの中でじゅんびを始めました。明日からその施設にいる
人たちも仮設に全員移るということで、敷地内に既に仮設も
できていて住んでいる人もいたので、1か月の変化を感じました。
数人の子供や地元の方とお話しをしながら、作業から帰ってきた
人たちなどにまずはアイスココアから差し上げていきました。

けれど、ここどもハエの問題は深刻で、100匹くらいがテントに
やってきていたと思います。地元の方は体の大きさも大きいし、
テレビでやっていた方法をやっても捕まらないという話もあり
ました。衛生面でもちょっと心配な環境です。

4時ころから子供たちがどんどん増えてきました。みんな近くに
あった相川小学校の子供たちでしたが、小学校は津波で使えない
状態になってしまい、バスで40分近くかけて小学校に通っている
とのこと、今も決して安全とは言えない海岸線のでこぼこ道を
毎日バスに揺られて通っていると思うとほんとに子供たちは
大変な毎日を過ごしているなと思いました。私の子供の学校で
寄付として集められた文房具を持ってきていたのでその子供たちに
好きなのとっていーよというと、大騒ぎしながら自分の好きな
物を持って行ってくれました。小学校には十分文房具が届いて
いるという話を聞いてはいますが、ほんとかな、それは学校が
思う十分じゃないのかな?子供たちは自分達で選べるほどの種類が
揃っているのかな?嵐の下敷きをしっかりと抱えている
女の子がとても印象的でした。

チュロスもみなさんに喜んで頂き、待っていただいている間も
会話ができるこの場所は来てとてもやりがいが出る場所です。

前回お昼をごちそうになりましたが、今回も夕ご飯を食べて
行ってくださいと誘われました。本当にうれしい一言でした。
けど宿に戻る必要もあったので丁寧にお断りして、次回来た
時にはここで泊めて頂くということで、名残り惜しかったですけど
松島に向かいました。

車に乗ったらハエが30匹くらい(笑)入っていて、まど全開で
ハエを追い出しても追い出してもしばあくハエがどこからともなく飛んで
きては、おじさん3人がキャーキャーいう状態でした。

松島では前回もお世話になった新富亭に泊まりましたが、
宿泊している人が少なくてびっくりしました。ボランティアも
減って復旧の業者もかなり減っているんだろうなというのが
うかがわれましたが、現地を見るとまだまだの状況。なんとなく
みんなの記憶や支援が薄らいでいってるのを感じます。

ほんとに、まだまだなんです。

at 10:03, kurachannet, 防災

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東日本大震災15

朝松島のホテルを出発し、石巻に向かう、三陸道への道が渋滞していたので、急きょ奥松島からのルートを使って石巻へ。海岸線のそばのルートはことごとく壊滅的な被害を受けていた。

ドーナツとプリンの提供予定場所として、一つは石巻市内蛇田中、一つは南三陸町の南側にある半島の大指という地域の避難所へ二手に分かれていくことに。そんなに大勢いらないので、若手の4人に片付け作業をしてもらおうと、湊小に連れていった。そこで急きょ牡鹿半島の小渕浜地区にある旅館の片付けに行って欲しいということに。食材を積んだ私の車でいくとドーナツの炊き出しに間に合わなくなるので、そこにいたコーゼンさんが連れていってくれることになりました。コーゼンさんとは初回来たとき以来の再会です。

蛇田中のプリンチームと分かれて、ドーナツチームを一路大指へ。途中海岸線のでこぼこ道やじゃり道を2時間近くかけて走りました。
ちょっと早すぎたので、しばしゆっくりと準備しているとお昼に避難所の方が牛丼とパスタサラダを出してくれて、すごくおいしくて感動しました。1 時ころそろそろあげようという時間になって、私は朝牡鹿半島に行った若手4人を迎えに行かなければならず、残念ながらドーナツの様子は見ることができませんでした。(その後聞いた話だとかなり思うようにいかなかったとか。まあそういうこともありますね。)

石巻市街を抜け牡鹿半島の南の小渕浜へ約2時間。旅館「後山荘」に3時15分ころ到着。一生懸命建物の外で洗い物や片付けをしていました。前回お花を生けた旅館のすぐ斜め前にある旅館ですが、こちらは被害も大きく、なかなか手が付けられなかった片付けができてとても助かったようでした。


そこから一路横浜へ途中国見サービスエリアで他のメンバーと合流し、11時30分ころ自宅に到着しました。この日総運転時間は12時間。疲れましたー。

at 07:51, kurachannet, 防災

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東日本大震災14

5月17日仕事が終わって家についたのは9時近く、とりあえずご飯を食べて出発の準備して、みたけ台のPuissanceへ。

今回はパティシェ9人を連れての現地入り。車3台に分かれて東京から出発した2台に、東北道菅生PAで待ち合わせしました。少し仮眠して、石巻の拠点に6時ころ到着。
7時にミーティングに全員で出席。それぞれのチームの当日の活動内容や場所、注意事項などを聞く。
満潮は5時頃、冠水しているエリアは注意。
ボランティアが前日キリで現地の人に刺されたという報告などもあり。

私たちは、ビッグバンという河北町にある施設に行ってカスレ(豆と肉の煮込み)300食を昼の炊き出しで行い、別チームは港中で、お昼の炊き出しに合わせてシュークリーム300食を出し、夕方石巻中央公民館で100食のアイスクリームを出し、残りの200のアイスをどこか別の場所で出すという予定が決まる。

8時30分ころビッグバン到着。かなり大きな避難所で、りっぱな施設。現地の担当者に会うと、そんな話聞いてない。月曜からお昼も配給されていて必要ない。言った人に電話しろと伝えてくれとかなり不機嫌な感じ。
ということで、すぐに拠点に戻って、急きょ石巻市内の大街道小学校の炊き出しにプラスのメニューとしてカスレを出すことに決まる。大街道小の炊き出しは内容が変わらないように炒め物に変更してもらった。
こういうことは珍しことではないので、その場その場で冷静に対応するのが大事です。

カスレはトマトベースにスープに白豆と肉の入ったフランス料理です。高井戸のノリエットさんが仕込みをしてくれました。今回もシュタットシンケンさんのソーセージが入りました。

カスレチームと材料を残し、私は大街道小から港中の炊き出し現場へ、シュークリームチームと出発。すでに昼の炊き出しチームが調理を始めており、こちらもシュークリームの準備を始める。
シュークリームは、大田区のメゾン・ド・プティ・フールさんと、ル・ガリュウMさんチームです。カスタード(かなりおいしい)をその場でシューに注入。

現地炊き出しの責任者で四万十塾の木村とーるさんも到着し、いろいろ雑談と夕方の残りのアイスの場所をどこにするか探してもらう。

夕方アイスクリームの前に少し時間があったので、石巻港を見渡せる日和山公園に行きました。きっと震災前はその場所からの景色はきれいだったろうという場所も、今は津波の悲惨さを一望できる場所となっていました。まじかに見るのとは違った、カメラに収まりきらない被害の広さに、改めて先の長い復興になることを感じました。

夕方、中央公民館と、北上中の二手に分かれてアイスクリームをしました。私は北上中のチームを先導します。途中川向には多くの子供の犠牲者が出た大川小学校があります。北上川の河口口の田園風景は殺伐とした風景になっていました。北上中の避難所はテント暮らしで、夕食に出されるお弁当の支給と炊き出しの味噌汁の準備がちょうど行われていました。

アイスクリームは、カップに入れられソースもかけられました。この日はとても暖かくみなさんに喜んでいただけたと思います。子供たちから小学生まで、みんなおいしそうに食べていました。

6時30分ころ作業を終え、宿泊地の松島に向かいました。松島では新富亭に滞在し、ゆっくりとお風呂と食事を堪能しました。いやー被災地でこんな夜は初めてで、布団の中でぐっすり寝ましたね。

at 07:10, kurachannet, 防災

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東日本大震災13

翌日5月4日朝、6時頃みなさんを迎えに行きました。
前日、現地で活動する吉村さんから牡鹿半島に来れる?ってことで、朝から牡鹿半島に向かいました。
途中、イカ出しもした渡波地区の道路を通りながら、相変わらず大変な匂いですが、数多くのボランティアも見ました。今回ボランティアがもっと多いかなと思ったのですが、思っほどではないなと感じました。やはり受付しないというのが影響していたんでしょう。

牡鹿半島は、西側が石巻市、東側が女川市で女川原発もある半島です。海岸線にそって、小さな漁村が点々と存在しますが、人が住んでいただろうという全ての場所が被害にあっていました。

南三陸のように広範囲に壊滅状態ではありませんが、残さず全ての漁村が被災している様子、また数多くの漁具を見ると、本当の復興はいつになるのかとても心が痛みました。



北から、荻浜小、月浦避難所、荻浜中、小網倉浜避難所、大原小、



最後に小渕浜にあるコンビニの駐車場で、ちょうど炊き出しに集まった人たちにお花をプレゼントしました。次から次へと人がやってきてかなり大変な状態でしたが、多くの方々に喜んで頂けました。少しながらも、接した多くの人から、これまでとは違った元気を感じました。もうこれ以上くよくよしてもいけない、前に進まなければという気持ちなのか、ただそこにはまだまだ深い悲しみがあるのを忘れてはいけません。

ある漁師のような40代くらいの男性が来て花を欲しいと言われて差し上げたのですが、もう一つ母に欲しいというのでもう一本差し上げました。その花をみながらしばらくそこでじっと立って男性は花を見ています。
そしてぽつりと、「お母ちゃんに花なんてやったことなかったな。」
私は「ぜひ差し上げて下さいね」と言いました。
すると男性は、「流されちゃったんだよね。」と。
しばし返す言葉が見つかりません。「捧げてあげて下さいね」というのがやっとでした。
きっと、そんなことも言わずに花を持って行った男性や女性が何人もいると思います。いつもですが、言葉は見つかりません。花を通してかろうじてコミュニケーションがとれただけでしたが、その花を通していろいろな思いを、それぞれの被災者が持ったのだと想像します。失われた命や数々の思い出に思いを巡らせたかもしれない。もし、それが少しでも被災者の皆さんの心を癒したのなら良かったと思います。
駐車場で知り合った、地元で「めぐろ」という割烹民宿をしているおじさんが、後で花を活けてくれということで、帰りに寄って、森井先生が残った花と玄関にあった壺を使って活けました。20人の人たちに避難所として民宿を開放しているおじさんとその家族と交流をしながら、またいつか民宿として再開したときにはぜひ訪れてみたいと思うそんな牡鹿半島の活動でした。





at 07:21, kurachannet, 防災

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東日本大震災12

5月2日の夜、4たび宮城へ向けて出発しました。

今回は地元のお花の先生森井環さんが主宰する生け花の花々侶というグループの活動として、先生他2人と一緒に、被災地に花・母の日作戦(自分で勝手に名前つけてるだけです)をしました。

大量のカーネーションなど花を積み込んで、11時30分頃出発。今回はGWということもあってか、首都高でも一部渋滞、東北道もずっと、車が多いなという感じでした。

まずは石巻のいつも行くボランティアの拠点で、水あげ(お花に水を吸わせる作業)をしました。しばらく時間がかかるので、その間南三陸町へ。志津川の河口は相変わらずの様子でしたが、電線の復旧工事が急ピッチで進んでおり、もうすぐ電気も周辺では復旧すると思います。以前お伺いした家族のお宅へ撮った写真とお花を届けました。残念ながらお留守でしたが、よくご存知の別のボランティアに後で聞いたら元気で仕事も始めているとのこと。ただ電気は今月末に復旧する見込みだが、水は3−4年かかるらしいとのことを聞いてびっくりしました。

南三陸をお昼少し前に出て、石巻へ。予定していた湊中に行きました。本当は食事時間に合わせて行く予定でしたが、少し遅くなって既に大部分の方は食事が終わっておりあまりお花をお渡しすることは出来ませんでした。すぐに近くの湊小に行きましたが、この学校はだいたいいつも行きますが、非常に変化している学校で、多くのボランティアや取り組みが行われており、行った時はコーラスのような集団が歌の練習をしており、なんかすごい盛り上がりでした。

現場の担当者との話もつき、カーネーションをラッピングして、各教室にいる避難者の方々で希望される方にお花を配りました。みなさんに喜ばれて、一緒に行った3人も少し感触を掴めてきたようでした。この避難所は対応窓口もしっかりスタッフがついており、そこで足りている支援はよそにまわすようなマッチング作業を行っている方(チーム神戸)もいて、最初に来てからの変化に毎回驚かされる避難所です。

作業を終え、3人を事前になんとか予約がとれた松島の旅館に送りました。松島は被害がほとんどなかった場所で、被災地復興支援にあたっている行政や業界の方がたくさん滞在されている場所でもあります。観光する時間はないかもしれませんが、アクセスもいいので滞在場所としてオススメです。

私は、前日の運転の疲れもあったので、近くのコンビニの駐車場でぐっすりと寝て、次の日に備えました。







at 23:08, kurachannet, 防災

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東日本大震災11

朝6時に松島から気仙沼に向けて出発。
三陸道を降りて南三陸町の被災地に入る。ここを見るのは何回目だろう。事前に被災地を見ない方がいいのではという話もあったのだが、南三陸町を通るのが近道ということもあり、師匠もいいですとのことで町に入っていった。

それまでまったく被害がないような道が続いていたが、突然ガレキが道の両脇に現れる。気になってバックミラー越しに師匠の顔を見ると、悲痛な様相で無言で窓の外に目をやっていた。
きっと私にはない感受性でこの様子を受け止めているんだろう、しばし誰も言葉を発しない。

自分にとっては明らかに最初の時に比べて改善されているように見えるその町も、初めて訪れる人にとっては十分すぎるほどの衝撃を与える風景が依然として存在していることを改めて感じた。

大なり小なり続く海岸沿いの被災地を抜け本吉町にある仙扇寺へ入った。立派な本堂のあるお寺では200人以上の方々が震災後生活しているとのこと。朝食が終わったばかりで、みなさん忙しそうに
片づけ作業を行っていた。
早速照明や音響の準備を行い、みなさんに声をかけて回った。前列2列に陣取った小さな子ども達を意識してか子どもが単純に笑えるお話が多かったように思う。ゲラゲラ笑う子ども達。
一時間の公演を終え、一路石巻へ。
千扇寺
2時に住吉中に到着し準備を始める。ここは体育館に避難された方に、体育館の舞台からの公演。神戸元気村のスターン草島氏のチームが持ち込んだ音響設備がセッティングされており、みなさんに野菜ジュースを配り、アッという間に準備完了。

この避難所では子どもがほとんどいなかったためかさきほどとは全く違う内容でお話が始まる。会場の真ん中で大声でわらうおばさん達。被災者のみなさんの絵顔が見れてほんとにうれしかった瞬間でした。救援物資も届き、近くのお店も始まり、炊き出しも増えた。元気になって、これからの片づけや仕事探しにがんばってもらいたい。
住吉中
お話の途中だったが横浜に戻る岐路についた。次の朝の公演がどんなものになるか気がかりであったが、きっと大丈夫だろうと思った。

途中宇都宮で徳恩寺が、被災地の泥出し用に投入するという軽トラックを売っているディーラーさんに立ち寄って、佐野SAで佐野ラーメンと宇都宮ぎょうざを食べました。これぞ栃木。

at 23:04, kurachannet, 防災

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東日本大震災10

火曜日朝の中央区であったお話を終え昼に地元に戻り、今回、徳恩寺の落語講演会プロジェクトのサポートとして合流しました。

徳恩寺はこれまで何度も被災地に行っており、これまでの災害時においても落語会の企画とコーディネートを行ってきた実績があります。被災者のみなさんに笑顔を届ける大事なプロジェクトです。

一路宮城や、車の数も幾度に増えている印象ですが、今回は日中なのでなおさらかもしれません。仙台でお待ち頂いている今回の落語家さん、三遊亭京楽さんとイベントプロデューサーの徳高さんをお迎えに仙台駅に向かいました。
仙台の町中は車から見る限りまったく普段のにぎわいを取り戻している感じがしました。

三遊亭京楽さん
http://kyorakusan.com/
と道中いろいろなお話をしながら、宿泊先の松島に向かいました。
最初に来た時には真っ暗だった地域にも電気が復旧していました。

松島町についてまず驚いたのは見た目の被害が全くなかったことです。やはり200以上あると言われる島々がこの町を救ったんでしょうかね。びっくりしました。ただ、宿泊先の旅館は鉄筋コンクリート造でしたが、地震のひび割れからか雨漏りが数カ所で見られました。けど多くの救援部隊の宿泊場所としてがんばっておられました。今この瞬間はすべての旅館が稼働している訳ではないですが、
落ち着いたらぜひみなさん松島の観光もして下さい。

三遊亭京楽さんとこれまでいろいろな被災地でされた落語会のお話や、被災者の方へお笑いを届ける難しさなどいろいろ聞きました。プロならではなの心くばりにいろいろと感心することが多かったです。


at 23:27, kurachannet, 防災

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