東日本大震災13

翌日5月4日朝、6時頃みなさんを迎えに行きました。
前日、現地で活動する吉村さんから牡鹿半島に来れる?ってことで、朝から牡鹿半島に向かいました。
途中、イカ出しもした渡波地区の道路を通りながら、相変わらず大変な匂いですが、数多くのボランティアも見ました。今回ボランティアがもっと多いかなと思ったのですが、思っほどではないなと感じました。やはり受付しないというのが影響していたんでしょう。

牡鹿半島は、西側が石巻市、東側が女川市で女川原発もある半島です。海岸線にそって、小さな漁村が点々と存在しますが、人が住んでいただろうという全ての場所が被害にあっていました。

南三陸のように広範囲に壊滅状態ではありませんが、残さず全ての漁村が被災している様子、また数多くの漁具を見ると、本当の復興はいつになるのかとても心が痛みました。



北から、荻浜小、月浦避難所、荻浜中、小網倉浜避難所、大原小、



最後に小渕浜にあるコンビニの駐車場で、ちょうど炊き出しに集まった人たちにお花をプレゼントしました。次から次へと人がやってきてかなり大変な状態でしたが、多くの方々に喜んで頂けました。少しながらも、接した多くの人から、これまでとは違った元気を感じました。もうこれ以上くよくよしてもいけない、前に進まなければという気持ちなのか、ただそこにはまだまだ深い悲しみがあるのを忘れてはいけません。

ある漁師のような40代くらいの男性が来て花を欲しいと言われて差し上げたのですが、もう一つ母に欲しいというのでもう一本差し上げました。その花をみながらしばらくそこでじっと立って男性は花を見ています。
そしてぽつりと、「お母ちゃんに花なんてやったことなかったな。」
私は「ぜひ差し上げて下さいね」と言いました。
すると男性は、「流されちゃったんだよね。」と。
しばし返す言葉が見つかりません。「捧げてあげて下さいね」というのがやっとでした。
きっと、そんなことも言わずに花を持って行った男性や女性が何人もいると思います。いつもですが、言葉は見つかりません。花を通してかろうじてコミュニケーションがとれただけでしたが、その花を通していろいろな思いを、それぞれの被災者が持ったのだと想像します。失われた命や数々の思い出に思いを巡らせたかもしれない。もし、それが少しでも被災者の皆さんの心を癒したのなら良かったと思います。
駐車場で知り合った、地元で「めぐろ」という割烹民宿をしているおじさんが、後で花を活けてくれということで、帰りに寄って、森井先生が残った花と玄関にあった壺を使って活けました。20人の人たちに避難所として民宿を開放しているおじさんとその家族と交流をしながら、またいつか民宿として再開したときにはぜひ訪れてみたいと思うそんな牡鹿半島の活動でした。





at 07:21, kurachannet, 防災

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東日本大震災12

5月2日の夜、4たび宮城へ向けて出発しました。

今回は地元のお花の先生森井環さんが主宰する生け花の花々侶というグループの活動として、先生他2人と一緒に、被災地に花・母の日作戦(自分で勝手に名前つけてるだけです)をしました。

大量のカーネーションなど花を積み込んで、11時30分頃出発。今回はGWということもあってか、首都高でも一部渋滞、東北道もずっと、車が多いなという感じでした。

まずは石巻のいつも行くボランティアの拠点で、水あげ(お花に水を吸わせる作業)をしました。しばらく時間がかかるので、その間南三陸町へ。志津川の河口は相変わらずの様子でしたが、電線の復旧工事が急ピッチで進んでおり、もうすぐ電気も周辺では復旧すると思います。以前お伺いした家族のお宅へ撮った写真とお花を届けました。残念ながらお留守でしたが、よくご存知の別のボランティアに後で聞いたら元気で仕事も始めているとのこと。ただ電気は今月末に復旧する見込みだが、水は3−4年かかるらしいとのことを聞いてびっくりしました。

南三陸をお昼少し前に出て、石巻へ。予定していた湊中に行きました。本当は食事時間に合わせて行く予定でしたが、少し遅くなって既に大部分の方は食事が終わっておりあまりお花をお渡しすることは出来ませんでした。すぐに近くの湊小に行きましたが、この学校はだいたいいつも行きますが、非常に変化している学校で、多くのボランティアや取り組みが行われており、行った時はコーラスのような集団が歌の練習をしており、なんかすごい盛り上がりでした。

現場の担当者との話もつき、カーネーションをラッピングして、各教室にいる避難者の方々で希望される方にお花を配りました。みなさんに喜ばれて、一緒に行った3人も少し感触を掴めてきたようでした。この避難所は対応窓口もしっかりスタッフがついており、そこで足りている支援はよそにまわすようなマッチング作業を行っている方(チーム神戸)もいて、最初に来てからの変化に毎回驚かされる避難所です。

作業を終え、3人を事前になんとか予約がとれた松島の旅館に送りました。松島は被害がほとんどなかった場所で、被災地復興支援にあたっている行政や業界の方がたくさん滞在されている場所でもあります。観光する時間はないかもしれませんが、アクセスもいいので滞在場所としてオススメです。

私は、前日の運転の疲れもあったので、近くのコンビニの駐車場でぐっすりと寝て、次の日に備えました。







at 23:08, kurachannet, 防災

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東日本大震災11

朝6時に松島から気仙沼に向けて出発。
三陸道を降りて南三陸町の被災地に入る。ここを見るのは何回目だろう。事前に被災地を見ない方がいいのではという話もあったのだが、南三陸町を通るのが近道ということもあり、師匠もいいですとのことで町に入っていった。

それまでまったく被害がないような道が続いていたが、突然ガレキが道の両脇に現れる。気になってバックミラー越しに師匠の顔を見ると、悲痛な様相で無言で窓の外に目をやっていた。
きっと私にはない感受性でこの様子を受け止めているんだろう、しばし誰も言葉を発しない。

自分にとっては明らかに最初の時に比べて改善されているように見えるその町も、初めて訪れる人にとっては十分すぎるほどの衝撃を与える風景が依然として存在していることを改めて感じた。

大なり小なり続く海岸沿いの被災地を抜け本吉町にある仙扇寺へ入った。立派な本堂のあるお寺では200人以上の方々が震災後生活しているとのこと。朝食が終わったばかりで、みなさん忙しそうに
片づけ作業を行っていた。
早速照明や音響の準備を行い、みなさんに声をかけて回った。前列2列に陣取った小さな子ども達を意識してか子どもが単純に笑えるお話が多かったように思う。ゲラゲラ笑う子ども達。
一時間の公演を終え、一路石巻へ。
千扇寺
2時に住吉中に到着し準備を始める。ここは体育館に避難された方に、体育館の舞台からの公演。神戸元気村のスターン草島氏のチームが持ち込んだ音響設備がセッティングされており、みなさんに野菜ジュースを配り、アッという間に準備完了。

この避難所では子どもがほとんどいなかったためかさきほどとは全く違う内容でお話が始まる。会場の真ん中で大声でわらうおばさん達。被災者のみなさんの絵顔が見れてほんとにうれしかった瞬間でした。救援物資も届き、近くのお店も始まり、炊き出しも増えた。元気になって、これからの片づけや仕事探しにがんばってもらいたい。
住吉中
お話の途中だったが横浜に戻る岐路についた。次の朝の公演がどんなものになるか気がかりであったが、きっと大丈夫だろうと思った。

途中宇都宮で徳恩寺が、被災地の泥出し用に投入するという軽トラックを売っているディーラーさんに立ち寄って、佐野SAで佐野ラーメンと宇都宮ぎょうざを食べました。これぞ栃木。

at 23:04, kurachannet, 防災

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東日本大震災10

火曜日朝の中央区であったお話を終え昼に地元に戻り、今回、徳恩寺の落語講演会プロジェクトのサポートとして合流しました。

徳恩寺はこれまで何度も被災地に行っており、これまでの災害時においても落語会の企画とコーディネートを行ってきた実績があります。被災者のみなさんに笑顔を届ける大事なプロジェクトです。

一路宮城や、車の数も幾度に増えている印象ですが、今回は日中なのでなおさらかもしれません。仙台でお待ち頂いている今回の落語家さん、三遊亭京楽さんとイベントプロデューサーの徳高さんをお迎えに仙台駅に向かいました。
仙台の町中は車から見る限りまったく普段のにぎわいを取り戻している感じがしました。

三遊亭京楽さん
http://kyorakusan.com/
と道中いろいろなお話をしながら、宿泊先の松島に向かいました。
最初に来た時には真っ暗だった地域にも電気が復旧していました。

松島町についてまず驚いたのは見た目の被害が全くなかったことです。やはり200以上あると言われる島々がこの町を救ったんでしょうかね。びっくりしました。ただ、宿泊先の旅館は鉄筋コンクリート造でしたが、地震のひび割れからか雨漏りが数カ所で見られました。けど多くの救援部隊の宿泊場所としてがんばっておられました。今この瞬間はすべての旅館が稼働している訳ではないですが、
落ち着いたらぜひみなさん松島の観光もして下さい。

三遊亭京楽さんとこれまでいろいろな被災地でされた落語会のお話や、被災者の方へお笑いを届ける難しさなどいろいろ聞きました。プロならではなの心くばりにいろいろと感心することが多かったです。


at 23:27, kurachannet, 防災

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東日本大震災9

7日は、午前中石巻市の海沿いの地域の渡波という場所で住宅のがれき撤去作業をしました。朝、現地の吉村誠司さんの話で、あそこはイカ・ガレキ・イカ・ガレキだからと笑いながら言われ、なんとなくイカが大量に散らばってるというイメージはあったのですが、現地に近づくと異様な匂いが漂い始め、被害もさることながらその匂いのすごさに驚きました。周りには水産加工の工場がいくつかありそこの魚介類が大量に周りに飛散したようです。

長靴、カッパ、防塵マスク、ゴム手袋に着替え依頼のあった住宅に行きました。
はっきりと最初は見えなかったのですが、大量のイカをつめた箱がぐちゃぐちゃになりながら家にガレキととともに積もっています。
冷凍されていたイカは重なってはいるが、取ろうとするとニュルニュルとし、手から滑り落ちそうになります。イカをつかむたびに悪臭がマスクの中にまで浸透し、吐き気がするほどの強烈な匂いです。取っても取っても出てくるイカの数、15分程度の作業で軽トラックの荷台はイカで満杯です。作業を見守る住民の方は本当に大変な思いをされているだろうし、一刻も早くこの状況を改善したいとは思いますが、マンパワーは圧倒的に不足しています。とにかく人も重機も足りない現状がまだまだ続いています。


作業中にご夫婦がちょうどその場所で津波から逃げる時に3歳のお子さんと離れてしまったとかで探しにこられていました。作業をする横でずっと子どもの名前を呼び続けるお母さんの後ろ姿を見て、私たちには想像すら出来ない苦しみを被災者の皆さんは抱えていることを改めて感じました。
みなさんにも聞こえますか?お母さんの声・・・。
書いているこの瞬間も思い出すと涙が出ます。

午後は近くの小学校でチュロスを炊き出しをしました。冷凍して持ち込んだチュロスは溶けることもなく、油であげ、シナモンシュガーをつけ熱々のままみなさんに食べて頂きました。こんなおやつ初めて!と言った声や、チュロスって何?って声、280個のチュロスは2時間で子どもたちから、お年寄りまで多くの方に届けられました。小学校の2階から手を振って私たちを見送ってくれた被災者の姿に元気をもらえました。

帰りの高速上で宮城震度6強の地震速報が。これまでの地震速報とは違った受け止め方を今回一緒に初めて被災地に行ったみなさんはされたのではないかと思います。きっと現地で見聞きした様々な事が記憶によみがえると思います。周りの人たちの新たな行動につながるように現地で体験した事を伝えて頂ければと思います。
今回の支援活動は、本当に多くの方々の支援によって実現出来ました。改めてみなさんにお礼申し上げます。

協力して頂いたお店など
PUISSANCE HP 
シュタットシンケン HP
ガレットデロア協会 HP

at 10:28, kurachannet, 防災

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東日本大震災8

5日の夜に出発し、6日の朝に石巻に到着しました。
前回行った時に滞在した石巻のボランティアの拠点に物資を降ろし、早速一部はその日の朝に避難所などに届けられました。この早さはなかなか行政経由などの救援物資搬送では出来ないと思います。

午前中、今回作戦に参加したPUISSANCEのシェフ他パティシェ4名とシュタットシンケンのお二人を乗せ、南三陸町の方に行きました。志津湾の悲惨の現場にみなさん大きなショックを受けていました。こうした現場を見て、戻ってみなさんに被害の状況を多くの方に伝えて頂ければと思います。

お昼に石巻に戻ってきて、前回来た際にドロだし作業など行った湊小学校に寄りました。学校が土足厳禁になっていたのにとても驚きました。きっといつかはそうなっていたと思いますが、前回来た時の1階全てのドロだしの結果がこの状況に至ったのだと思うとなんとなくうれしかったです。

午後からは早速炊き出しの準備にとりかかりました。横浜から持ち込んだポトフとソーセージ、ハム、パウンドケーキなどかなり豪勢な内容になりました。避難所のみなさんも今日は豪華だ。こんなに食べきれないかもと言いながら、それぞれの部屋に人数分持ち帰ってました。少しあまったのでご近所の方がたに声をかけながら歩いて回り、300食のポトフの炊き出し作業を完了しました。
炊き出しは他の作業とはちがって被災者の方たちとのちょっとしたコミュニケーションも生まれます。少しづつ避難生活環境も炊き出しや支援物資が増え良くはなりつつあるも、被災者の方々の心労は深いと思います。自演隊の炊き出しとはひと味違った今回のような炊き出しで少しでも気分を変えて頂ければうれしいですね。


夜は前の日からの睡眠不足もあってか8時半には消灯してみなさん寝てました。


at 23:20, kurachannet, 防災

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東日本大震災7

PUISSANCEのシェフとそれまで準備を進めていたスイーツハート作戦の呼びかけに応じて、PUISSANCEに様々な洋菓子が届きました。その数一万5千個の洋菓子。中には箱を開けたらメッセージ付きのものも(写真)。なんかジーンときます。

また現地でポトフの炊き出しをするため、夜は地元の保育園仲間への呼びかけに集まってくれたみなさんによる現地炊き出しの仕込み作業が行われました。大量の材料を前に奮闘して頂き、しっかりとこの苦労を現地で実らせたいと思いを強くしました。

こうした地味な準備の作業は忘れられがちですが、とても大事なことです。仕込みのお手伝い以外にも多くの方から、様々なご支援を頂きました。この場をお借りして心より感謝申し上げます。

at 23:37, kurachannet, 防災

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東日本大震災6

宮城最後の日の朝、高齢者支援のある作戦に
ついてお話をするため社協のボランティアセンターに
行った。全員重苦しい表情であきらかに何かが起こった
ようだった。別の人からの話でわかったが、職員さんが
一酸化炭素中毒で亡くなったらしい。車の中でコンロ
か何かで暖をとったのだろうか詳細はわからないが、
こうした死が今後も続くかもしれない、前夜職員が本当
にめいいっぱいなんだと話していたが、最前線では被災者も
支援者もぎりぎりの日々を過ごしている。
一刻も早くこれ以上の命が失われないような体制と支援が必要だ。
石巻ではNGOの連絡会が前夜立ち上がり、現地のニーズを
こまめに聞き取る活動も効果をあげている(NHKのニュース9
でとりあげられていた、め組JAPAN、電話でインタビューを受けていた
井上さんを応援したい(この人なら町を復興させる大きな力になると
思わせる若くて素敵な女性だった)

この日は活動の初日に行った南三陸町の保育園や老人ホーム
漁村などに物資を届けた。物資を届けたある家族は本当に
物が来ない中、なんとか生きていることがとても痛ましかった。
お礼にと、自衛隊からもらったというおにぎりを焼きおにぎりに
してくれて私たちにごちそうしてくれた。自分達の大切な食べ物
なのに、本当ならお断りすべきところだが遠慮なく頂いた、どんなに
辛い時でも他人にやさしくすることで救われることがある。そんな
気持ちを受けとめることも大事だと思う。
おまけに地元でとって蓄えていたわかめと、うにの塩づけなどを頂いた。
またいつかこの村に来よう、よくなったらまた来てねと声をかけあった。
こうした村には小さな避難場所があり住民が独自に生活をしているが、
市街と違ってみんなが助け合って生きており力強さを感じる。
しかし、行政の支援は届かない、きめ細かいボランティアの支援が
支えているのが現状である。今は少し改善しているかもしれないが。

いろいろな出会いがあり、出来事があった1週間だった。
1ヶ月近くもいたような気がする。現地では震災以来ずっとがんばっている
ボランティアもいる。また近いうちに現地で被災した人たちの
支援にあたりたい。みなさんにもぜひ現地に行って頂きたいと
思う。見るだけでもいい。
被災地を見た人の数の分だけ、安全で、つながりの強い国になるような気がする。

at 09:03, kurachannet, 防災

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東日本大震災5

以前より環境の悪かった湊小学校に行きました。
この小学校では体育館全面に5cmくらいのどろとゴミが
溜まり、一階廊下や教室も全てどろとゴミに覆い尽くされて
いる。
海のどろがたまっているためにどくどくの匂いが常に漂って
おり、このような環境で生活していくのは精神的にも衛生的にも
良くない。
早速玄関横の比較的大きなゴミが少なかった部屋の掃除から
始める。そして玄関の超思い下駄箱、流木、ロッカー(大量の
海水を含んだ書類がドシャ)、布団などなどどかして、1階の
廊下のどろを端から端までスコップですくっては一輪車に入れる
作業を1日中繰り返しました。
体育館は避難者も一緒になって作業したかいもあり、どろがどけられ
今後は物資の保管などより衛生的な環境が生活で出来ると思います。

帰りは、ちょうど大潮のため学校前の道路がかなり冠水してました。
みんな自分の車で来ているボランティアばかりなので私はこの時
北海道から来ている人の車に乗ってましたが、塩水だから洗わない
と駄目だなと笑いながら行ってました。ちなみに作業の1時間後には
北海道に向けて出発されました。

ちょうどこの日は石巻で高齢者と16歳の少年が発見された日で、
作業していた小学校から数百メートルの位置でヘリコプターが
何度も旋回してました(その時はなんだかわかりませんでしたが)。

救出されたのは素晴らしいことではありますが、このことの意味
することは、捜索方法が本当に念入りに行われているのかという
こともあります。周辺ではいつまでたっても回収されない遺体が
毛布をかけられたままになっていたり、自衛隊に回収をたのんでも
いっこうに来てくれないという話を聞きます。もしかして助かる
命が助けられていなかったのではないかという気もします。

この日の夜には石巻で活動しているNGOやボランティアグループ
の連絡会議の立ち上げ会議があり、支援物資の配給方法、炊き出し
などがかぶらないように優先順位をつけて行われるようなグループ
間で連携することが確認されました。行政からの最新衛生写真
による説明もありましたが、今回の被害の広さを改めて感じる
とともに、こうした支援がかつてない規模と時間で続けられなければ
被災者の生活再建が出来ないと感じました。

今後は、子どもたちのケアや高齢者のケアなどの支援チームを
立ち上げて現地に行ければと思います。

この夜は余震が多く、何度も目が覚めましたね。




写真1 学校のある教室
写真2 どろを出し、プールの海水でふき、きれいになった教室
写真3 学校裏の墓地 車が墓石にたくさんのっています。

at 23:56, kurachannet, 防災

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東日本大震災4

今日はこれまで本拠地にしていた、名取から石巻へ引っ越しをした。
既に名取ではボランティアセンターが立ち上がり、今後の方向性も
はっかりしてきたため、現在とても悲惨な状況が続いている石巻に
本拠地を移す事になった。

週末もあって、全国いろいろな県からボランティアが集まってきて
石巻の拠点では総勢20人くらいのメンバーが今日は一夜を過ごす。
石巻の市街地は2日前に比べてかなり改善された部分もあり(道が
増えた)、天気の良さも見た目は明らかに2日前よりよく感じる。
ただし、避難所の人たちの心理は危機的状況から、落ち着きをとり
戻したがゆえに襲ってくる様々な不安や虚無感に襲われ始める。
再度尋ねた小学校でも、生活環境の整備をし、環境の質を高める
ことにシフトをしていくことになった。まだまだ行政の支援から
見捨てられた小さな避難集合体が点々と存在するので明日は
ローラー作戦で、物資を提供していく予定です。

今日は来てから初めて3食食べた、パン、おにぎり、カップラーメン。
これまで一日1食だった。そしてきてからまだ一度もお風呂も
シャワーも浴びてません。みんな同じだからあまり気になり
ませんが、頭かゆい。

昨日2時間しか寝てないので、今日は写真アップしないで寝ます。

at 23:43, kurachannet, 防災

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